「それって矛盾してるじゃん」、フランス人にツッコまれた日本の風習

2016/08/06

先日、知人に頼まれてフランス人の女の子に東京案内をしました。その際、昼食中にツッコマれたある一言に、「うーん、なるほどなぁ」と思ったので簡単に綴ります。


日韓ハーフ、パリで起業。

ブルターニュ地方出身のその女の子は、日本に来るのが初めてだというので、浅草やスカイツリー、それに秋葉原なんかも、東京名所として連れていきました。

ところが、名所に訪れたはいいものの、ボクにとっての醍醐味は何よりも食事です。もちろん自分が食べることに喜びを見出している節もあるのですが、こうした通訳ガイドを頼まれたとき、異文化からやってきた人々に食文化の違いを伝えるのがとても好きなのです。

何を食べようか、あるいは何を食べさせてあげようか迷ったのち、暑い日差しに嬉しい「そば」を食べることに決めました。ガレット(そば粉のクレープ)で有名なブルターニュ出身ということで、そば粉で作った麺料理を好んでくれるだろうと思ったからです。

ざるそばを頼んで、そば粉の香りを楽しむために、麺をつゆにつけすぎちゃいけないんだよと、ちょっとしたウンチクをたらしながら、ワイワイと食事を楽しんでいると、話題はそばの「食べ方」に移りました。

それは、ズルルッと音をたてて食べる日本の独特なスタイルに始まった話題だったのですが、それをきっかけに彼女はさらに踏み込んで、徐々に「箸」について話を始めました。

 ※ ちなみに、フランスでズルルッと音を立てて麺を食べるとマナー違反でありドン引きされるので注意してください。ボクは「食べ方」まで「日本料理」の一部であると主張して押し通していますが……。おにぎりをナイフとフォークで食べたくないように、音をたてないでそばを食べるなんて、食べないほうがマシでしょう。

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「はじめはすごい苦労したけど、徐々に箸に慣れていった」

「日本人が箸で魚を綺麗に食べるのを見て驚いた」

 

なんてことを話ながら、その子は美味しそうにそばを食べていました。

ところが、「箸を手に持ちながら、いつもどおり身振り手振りジェスチャーをしながら話をしたら注意された」と彼女が言ってからは、少し会話が真面目な議論のようになりました。ボクが、なぜ箸を振り回しながら話をしたら注意されたのか、説明しようとしたからです。

ボクの主張は、簡単にいうと箸は日本人にとって「なんとなく神聖なもの」、あるいは「なんか大事なもの」であるという論を軸にしていました。

もちろん、普段から日本人が重々しくそれを意識しているわけではありませんが、事実、箸とは神道と関わりが深いアイテムであります。箸とは、神職が神様と共に食事をいただくという儀式において必要な祭器なのです。

だからといって、毎日、箸を神々しいものとして拝んでいるわけではないのですが、それでも、雑に扱ったらなんかバチとか当たりそうな、そんなツールが箸なのです。

それに加えて、箸とは、日本社会において人々の育ちの良さを確かめる指標としても機能しています。小学生のころ、箸の持ち方が悪いだのなんだので、いじりあったりしたことがある人は多いのではないでしょうか。毎日毎日、もはや当然のこととして行っている食事に伴うものだからこそ、意識はしていませんが、幼い頃からの家庭での刷り込みが、「箸の持ち方」には反映されているのです。

つまり、箸は誰しもが日常的に当たり前のように触れるアイテムであるにも関わらず、いや、正確にいうと、そういった当たり前のアイテムであるからこそ、日本文化において大事な意味をもつ食具であると、フランス人の女の子に対して力説したわけです。

そうすると、その子も、「あー、なるほどねぇ」、「箸って神道とかかわりがあるのねぇ」、「箸って日本人にとって大事なものねぇ」と納得をしてくれました。日本の飲食文化の一端を知ってくれて、ボクとしても非常にうれしかったわけです。

ところが、「そんな大切な箸なのに、ポイポイ捨てるんだね、矛盾してるね」と、同時に指摘されました。

彼女は割り箸のことに触れたのです。

たしかに、食事中は、たとえ割り箸であっても、たとえばご飯に刺しちゃいけないとか、振り回しながら話しちゃマナー違反だとか、日本文化による暗黙の規制が機能していますが、食事が終わってさえしまえば、割り箸はただのゴミでしかありません。そこになにか思い入れがあるわけではなく、本当に、虫けらのようにポイっと捨ててしまいます。

今度は「あー、なるほどねぇ」とボクが言う番になってしまいました。食後の割り箸の行方なんて意識したことがなかったので、この指摘は、異文化圏の者だからこそ成せる冷静な思考によるものだったのです。

ところが、すぐに反論を思いつきました。それは、神道の「穢れ(けがれ)」という観念が作用しているのではないかと思ったからです。

食事をするまえは神聖である箸は、食事をすることによって「穢れ」た物体になってしまうのでは?という仮説を思いついたわけです。

鬼にタッチされたやつも鬼になる、○○菌をもってるやつにタッチされたやつも○○菌をもつことになる、小学校で見た馴染みのある「穢れ」の伝染光景が、じつは日常的な食事の中でも作用していたのかと思うと、この議論は、なかなかけっこう価値のあるものであるはずだと信じたくなりました。

神様と関わってるし、育ちの良しあしも表れる、そんな「なにか大事なもの」である箸は、食事という行為によって穢され、食事後は、虫けら同然になってしまう……。

神道ってただのヤリ捨て文化なんかじゃないかって思うくらいオンオフがはっきりしているなぁと、根拠のない自らの仮説に感想を思い描いていました。

もちろん、箸に関する民俗学や人類学の論文を読んだわけでもないので、上記に書いたことはすべてボクの妄想であるといわれても否定はできません。箸を捨てるって行為だって、割り箸が登場してからの事象だったのとしたら、比較的現代的なものであり、割り箸がなかった時代のことも検討しなくては、説得力にかけます。

ただ、一つだけいえることは、日本の外の文化に住んでいる者と、日本文化について議論を重ねることによって、根拠は薄いにせよ、少なくとも面白い仮説というものは誕生するに至ったということです。

日韓ハーフ、パリで起業。

普段、ボクらが意識していない、食事などの日常の当然の行為には、当たり前の行為であるからこそ、ボクらの非常に深い部分と関わりがあるはずなのです。議論によって、それらを炙り出していきましょう。それが飲食を学問することなのですから。

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