議論が大好きな国であるフランスでは、世界的な影響力のある思想家・哲学者がたくさん誕生しました。ところが、どの思想家も横文字のカタカナの名前で、誰がどんな思想を説いたのか混乱してしまいます。今回は、とりあえずこれだけ抑えておけば最低限は大丈夫だろうという思想家を6人まとめました。

こんにちは、ジュロウです。フランスに行くにあたって、銀行口座の開設・ビザの申請・住居の確保など準備することは山盛りです。
そんななか、大切なことを1つ準備し忘れていたことに気付きました。
フランスの思想家についてあんまりよくわかっていない……。
え、そんなの別にいいじゃないかと普通は思いがちですが、そうでもありません。
個人的な感想では、フランスは儒教文化圏ばりに「教養」がモノをいう社会なので、フランスの思想家や彼らの思想について軽く抑えておくだけで、様々なシーンで役にたちます。
たとえば、フランスの教授に食事に誘われたときや、ゼミのディスカッション、あるいはDELF・DALFの面接などで、フランス思想の1つでも引用したりすれば、「コイツ、ちょっと勉強してるやつだな…」と一目置かれます。引用するのが大好きな国なので、レポートや論文でも役に立つはずです。
それに、彼らは自国の文化が大好きなので、フランスの思想家について知っていると単純に喜んでくれるはずです。
せっかく、議論の国・フランスに行くのだから、ちょっとはアイテムを揃えて彼らとおしゃべりをしたいものです。
フランスって、本当に議論が大好きな国だと思う。何を聞いても論理的にペラペラ回答してくるし、それにいろんなことで自分の意見を求められる。意見を求め、求められる、それがフランスという国の性質。
— パリノメモ@日韓ハーフ、パリに移住 (@Parisnomemo_) 2016年8月10日
仮に彼らの主張に反論して論破したとしても、彼らは素直に「なるほど、あなたが正しい」とその反論を受け入れる。論破を「負け」とは思っておらず、「より論理的な意見」程度にしか捉えていないからだ。まさに議論の国。
— パリノメモ@日韓ハーフ、パリに移住 (@Parisnomemo_) 2016年8月10日
とはいえ、大学の講義みたいにあんまり長々とフランスの思想家について綴っても仕方がないので、今回は哲学を専攻している友人の力を借りて、最低限押さえておけばいいフランスの思想家・哲学者を6人まとめてみました。
ルネ・デカルト

デカルトの肖像画(wikipediaより)
「我思う、ゆえに我あり」
16世紀に活躍したフランスの思想家、フランス思想界における大御所中の大御所。フランス思想界、いや世界レベルでの思想界に最も影響を与えたうちの1人といってしまっても過言ではないでしょう。「我思う、ゆえに我あり(Je pense, donc je suis)」という命題はあまりにも有名で、日本でも広く知られています。簡単にだけこの命題について説明すると、デカルトはある日、この世の中で「夢や幻想ではなく、絶対に現実だと証明できるもの」がなんなのか考えてみました。するとビックリ、本当に現実だといえることなんてないじゃあないですか。住んでいる家も、飲んでいるコーヒーも、自分の友人も、全て自分が思い込んでいるもの、すなわち夢や幻想であるかもしれないという結論に至ったのです。デカルトは、ひょっとすると自分の存在すらもただの幻かもしれないと絶望しました。しかし、最終的に、デカルトは希望の光を見つけます。「今、自分がこうやって何かを考えている現実だけは否定できないではないか」、そう、つまり「我思う、ゆえに我あり」ということです。そうやって、自己の存在を証明する命題を生み出したのがルネ・デカルトなのです。
ブレーズ・パスカル

パスカルの肖像画(wikipediaより)
「人間は考える葦(あし)である」
17世紀に活躍したフランスの哲学者・数学者です。今の物理学の先駆となっている自然哲学に精通している人でもありました。かつて、フランスの貨幣がまだフランだった時代に、500フラン札の肖像として彼が起用されました。天気予報で使われる「ヘクトパスカル」にも彼の名が使われているように、「パスカルの三角形」・「パスカルの定理」・「パスカルの三角形」など、物理・数学的な実績を数多く残しています。とはいえ、数学と哲学は似ているとよく言うように、パスカルは哲学・思想家としても大活躍しました。まず、「人間は考える葦(あし)」であるという表現で、人間は弱小で矮小な存在だけれども、考えることによって宇宙すら超えることができると主張しています。そのうえで、この世から「物体」・「精神」・「愛」という3つの要素を取り出し、「物体」<「精神」<「愛」の順で、それぞれのレベルを体型づけています。ざっくりだけ説明すると、『この世のあらゆる「物体」(空・大地・海など)は「精神」には及ばない、なぜなら「精神」は「物体」を認識するけど、「物体」は「精神」を認識しないからだ。そんな「精神」も「愛」には及ばない。なぜなら、「愛」は超自然的なものであり、「精神」のいかなる所作も、「物体」のいかなる所作も、「愛」の小さな1動作も生み出すことができないからだ』といった感じでしょうか。「物体」よりも「精神」がうえで、そのさらなる上である頂点に「愛」がくるなんてロマンチックですね。
ジャン=ジャック・ルソー

ルソーの肖像画(wikipediaより)
「人間ってなんで不平等なんだろう?」
18世紀に活躍したフランスの哲学者です。その著書、『人間不平等起源論』や『社会起源論』はあまりにも有名で、日本の大学の講義でもたくさん使用されています。生きているほとんど全ての人が薄々感じているように、人間社会は不平等です。隣の人の家は自分よりも大きいし、向こうに住んでいるあの人は、大した労働もしてないのに自分よりも稼いでいます。ルソーは、なんで人間社会がこんなに不平等なのかということを明らかにしようとした哲学者なのです。人間が生きようとする過程で、土地とか家とか私有財産を所持するようになると、今度は、その私有財産をもっている「強者」たちが、それを守るために各人にとって都合のいいルールを作り始めます。それは法律となり拘束力をもつようになり、「強者」と「弱者」を明確に区分します。それが社会の本質であり、つまり社会は本質的に不平等だということになります。なんとも…、言いづらいことををズバリと言ってのけてしまう、まさにフランス人といった感じの哲学者ですよね。
ジャン=ポール・サルトル

サルトル(wikipediaより)
「人間は自由なんだ」
20世紀に活躍したフランスの哲学者です。神が世の中心であるという考えが根強かった時代が終わり、人間が第一となった社会で、サルトルはさらに人間の「自由」を唱えました。「自由」というと曖昧ですが、簡単にいうと、1人の人間の「自立」です。つまり、人間が今まさに生きている意味や価値、生きるのが苦しいとか楽しいとか、これからはそういう感情を大事に自らが生きていこうというです。もちろん、サルトルはこのことを決してポジティブなこととしてだけ主張したのではなく、「私達の行動の責任は、すべて私達自身にある」という意味合いももたせました。だって、人間は自立して自由なのだから。このことは、サルトルの言った「人間は自由という刑に処せられている」という強烈な名言に凝縮されています。これからは、人間の人格と尊厳を大事に、自らの意思で行動をして、自らで責任を取りましょうと、サルトルはそう言いたかったのでしょう。
ジャック・デリダ

デリダの肖像画(wikipediaより)
「脱構築」
20世紀に活躍したフランスの哲学者です。2004年に亡くなっているので、本当につい最近まで哲学界でその思想を練り続けた人物であるといえるでしょう。ただ、最近の人物であるとはいえ、デリダは、哲学界に非常に大きな痕跡を残しました。それが、「脱構築」という思想なのです。脱構築に関して説明するとどうしても長くなってしまいそうなので、コチラのサイト(【哲学の小授業】脱構築ってなあに?)を参照されてください。説明を他に委託するという形になってしまいますが、非常にわかりやすくまとめられています。簡単にだけいうと、それまでに哲学界が頻繁にやってきた、決め付け(二項対立)を解きほぐす試みだといえるでしょう。たとえば、「男」という言葉は、「女」という存在を前提に成り立っているわけですが、ただ単に「男」・「女」とだけこの世の人間を定義してしまうのは危険であり、「男」だっていろんな「男」がいるし、「女」だっていろんな「女」がいるだろうと、「男」・「女」という単式化に「待った」をかけて、さらに「男」や「女」をいろんな要素に分解していうのが脱構築なのです。
ミシェル・フーコー

フーコー(画像引用元)
「なぜ、同性愛者はこうも抑圧されるのか」
20世紀に活躍したフランスの哲学者です。国家権力や宗教権威が、民衆に大きな抑圧を与えているということに着目し、その構造を明かそうとした人物です。たとえば、フーコーは、自らが同性愛者(ホモ・セクシャル)であったこともあり、なぜこうも同性愛者は人間社会において抑制されているのか、すなわち、古代社会の貴族階級の間では同性愛はごく一般的な恋愛の方法であったのに、どうしてキリスト教倫理が基盤となった社会では、こうも同性愛者が社会的に退かれるのかということを、膨大な歴史資料をかき集め、大著『性の歴史』の中で論じました。また、全展望監視システムを採用したパノプティコン(wikipedia)という刑務所を転用して、人間社会における管理や統制の構造を説明したことでも有名です(『監獄の誕生 監視と処罰』)。

いかがだったでしょうか。他にも思想界に影響を与えたフランスの哲学者・思想家はたくさんいますが、ひとまずはこの6人を抑えておきましょう。あとは、自分で興味をもって調べてみたり、実際にフランス人と議論をしながら、もっともっと踏み込んでいけばいいはずです。せっかくフランスという分野に興味を抱いたのなら、ワイン・料理・音楽・ファッションといった、いかにもフランスといった文化だけではなく、フランス哲学・思想という、フランスの知的な財産にも目を向けてみるのもいいかもしれません。
実存主義の哲学書に共感しました。朝、目が覚めると世界が無くなっているかもしれない、したがって、常に神に平和への祈りを欠かさない事だ!等の教訓は勉強になりました。これからも、平和であるように願っています。