【ライフスタイル】ハーフとして育った結果「当たり前」を信じなくなった話

バイリンガル

こんにちは、パリノメモの筆者をやっているジュロウです。

いろいろあって現在はフランスという国に深く足を踏み入れているボクですが、じつは自分は、アジア人の中のアジア人です。

「なにいってるんだ」と自分でも思いますが、ボクは純日本人の父と純韓国人の母のもとに生まれた純正の日韓のハーフなのです。東アジアの血を色濃く引き継いだ人間だと、ひそかに自負しています。

 

幼少期は、日本と韓国をひたすら往復し続けて過ごしたため、小学校・中学校を合計で約5年ほど韓国の現地校で過ごしたことになります。そうやって義務教育の半分を韓国で、もう半分を日本で過ごす過程で、どっちにいっても「よそ者」だったので、どっちの国でもイジメられる経験をするというちょっと悲しい幼少期の記憶もあります。

 

ただ、そんな自分の幼少期を否定するわけではなく、むしろボクは誇っています。

というのも、異なる国・社会・文化を往復し続けた結果、ボクはとある「視点」を獲得したからです。

 

それは、『こっちの国で「当たり前」のことはあっちの国では「当たり前」ではない』ということです。
そしてそれは同時に、『あっちの国で「当たり前」のことはこっちの国では「当たり前」ではない』という視点でもあります。

 

どういうことか説明します。

 

韓国でそうでも日本ではそうではない、日本でそうでも韓国ではそうではない

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日本と韓国の公立学校を往復転校しつづけてた日々、ボクはどうもこの世の不条理さに納得がいきませんでした。

というのも、日本での振る舞いを韓国でやると文句を言われ、韓国での振る舞いを日本でやると、これまた問題だったからです。

 

ボクが幼少期に納得のいかなかった経験をひとつ紹介します。

 

たとえば、韓国の学校では「先生」という存在が絶対的なものであり、生徒は先生に対して絶対的に敬語を使います。いわゆる儒教文化というやつですね。

もちろん日本でもそうではあるんですが、日本ではある程度先生に対してフレンドリーに接することができるのに対して、韓国では先生はとにかく絶対。敬われる対象であり、砕けた敬語なんかもってのほか、厳格な礼儀をもって接することが基本です。

どっちもそれぞれの文化なので、勝手にやってくれればいいのですが、両国間を行き来したボクにとっては悲惨です。日本にいたときのようにフレンドリーに韓国の先生に接すると、「なんて礼儀のない子」だと怒られたり、それを理由にクラスメートからイジメを受けたりするし、それじゃあ先生に接する態度を韓国風に治して日本に帰国後それを実践すると、今度は「なんでそんなに先生に対して丁重なんだ」と空気を乱してしまいます。

イメージしにくいかと思いますが、たとえば日本の小学校で先生に対して「先生、お食事は済まされましたか?」なんて丁重に接したらちょっと変ですよね?

 

これはほんの一例にすぎませんが、ボクの幼少期はこんなことだらけでした。

上の学校の例のような日常の立ち振舞に関してもそうですし、竹島(独島)とか伊藤博文の暗殺事件とか歴史的にシビアな問題に関しても、あっちの国で教えられたことはこっちの国では違うと言うし、こっちの国で教えられたことはあっちの国では違うと言うし、幼かったボクが、ハーフとして生まれて2カ国間を往復して過ごしたというだけで、なんでこんなに辛辣な幼少期を過ごさなければならなかったのか大人になったいまちょっとムカついてます。

まぁ、結果的にいい経験だったのでムカついているというのは冗談なんですが、いずれにせよ子供のころのボクは、ある決意をしました。

それは、「誰がなんと言おうと自分で考えて行動する」ということです。

 

他の人に「これはこうなんだよ」「こうやるのが正しいんだよ」「これが正しいんだよ」と言われようが、どうせ別の国では違うと言われるのだから、他の人の言ってることを信用せずに、「自分の答え」を見つけて自信をもってそれを掲げて生きていくことにしたのです。

どっちにしろ正解なんてないんだから、自分の答えを信じることにしたのです。

 

だから、ボクはその社会その文化で「当たり前」だとされていることは、まず初めに疑ってかかることにしています。「当たり前」というのは、結局のところ、その社会その文化に住んでいる人が長く続く慣習の中でそれとなく決定してきたことなのですから、それに従う道理はありません。

まぁ、もちろんその社会その文化の中で生きていく以上、ある程度その社会・文化が作り上げたプロトコルというものには従って生きていく必要もあると思うのですが、それはあくまで最低限のもの(エスカレータは左によるとかお酌は両手で受けるとか礼儀的なもの)だけで、本当に大事な根幹部分は自分の考えを信じます。

せっかく考える脳みそをもって生まれたのですから、なんとなくの「当たり前」に従うのではなく、その「当たり前」に疑問を抱いて、自分の生き方というものを切り開いていきたいものです。

 

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日韓ハーフ&バイリンガルという生い立ちゆえ、人によっては物珍しくみえるようで、とくに初めて会う人にはいろんな質問をされます。韓国に友達はいるのか...

 

おまけ:フランスってけっこう居心地がいい

パリ

パリ

 

ところで、現在ボクはフランスに留学しているといいましたが、日韓ハーフであるボクにとってフランスってけっこう居心地のいい国だったりします。

というのも、ハーフなんてなんら珍しくないし、他文化圏からやってきた移民が10%を超えるこの国では、いろんな文化がごちゃ混ぜになっているからです。

なにか言われたとしても、最低限の礼儀さえわきまえていれば「これがボクの文化なんだ」といえば、それを尊重してくれるし、それ以上深入りはしてきません

 

それに、多くの思想家が誕生した哲学の国であるフランスでは、「当然」とされている事象に疑問を投げかける風潮があります。

 

教養
議論が大好きな国であるフランスでは、世界的な影響力のある思想家・哲学者がたくさん誕生しました。ところが、どの思想家も横文字のカタカナの名前で、誰...

 

「これは◯◯なんだよ」といわれたら、「なんで?」と聞き返すと、その人なりの考えを聞かせてくれるし、それが絶対ではないことも補足してくれます。とってもとっても居心地がいいし、嬉しいです。

日本や韓国で、「なんで?」「なんで?」と聞き続けると「うるさいやつだな、面倒くさい」となりがちですが、フランスだと、少なくともボクの経験した限りでは「Pourquoi(なんで)?」だけで会話が続くんじゃないかってくらい、どんな疑問に対しても自分の意見を述べてくれます。何度もいいますが、もちろんそれが絶対的な答えではないということをつけ添えて…。

 

 

フランスはむしろ、「当たり前」がなんで「当たり前」なのかを説明することに価値を置いてくれる国なのです。

 

 

ハーフとして生まれて、幼少期はつらい経験もけっこうありましたが、いまは「当たり前」に疑問を投げかけられる視点を得ることができたという点で、案外悪くない幼少期だったかもな…と、ふと思ったりもするのです。

みなさんも、ハーフの子がいたら、その子が変な子だからって仲間はずれにしたりせずに、ぜひ受け入れてあげてください。

 

むしろ、これからの時代、国際的な交流が活発になるので、そういった姿勢が求められてくるのではないでしょうか。

 

 

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