モロッコでラマダンをやりきって決心したたった1つのこと

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いまから約3年前、フランス語を学びにモロッコに行ったことがあります。それは偶然にもラマダンの時期だったのですが、すでに現地の友人がたくさんいたボクは、自分だけラマダンを行わないことになぜか引け目を感じ、友人らと一緒にラマダンをやり切ろうと思い立ちました。地獄の始まりです。

 

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こんにちは、パリノメモの筆者をやっているジュロウです。ツイッターはこちらです(@Parisnomemo_)。

 

つい3日ほど前、今年のラマダンが終わったようです……。

じつは、ボクも3年前にモロッコで1ヶ月間のラマダン(断食)を行ったことがあるんですが、そのときある決心を1つしました。それは、二度とラマダンなどやらないということです。単に飲まず食わずがつらいからというわけではありません。順を追って説明していきましょう。

ラマダンとは?

 

ラマダンとは、一言でいうと、イスラム教徒が毎年行う断食のことです。正確にいうと、断食を行う月を示す言葉ですが、もはや日本ではラマダンという言葉自体が「断食」を意味しています。

イスラム教徒が断食を行う約1カ月間を「ラマダン」という。この期間、日中の飲食を断ち、神の恵みに感謝する。…(中略)…ラマダン月のあいだ、ほとんどのイスラム教徒は日の出から日没まで食べ物と飲み物を断つ。…(中略)…サウムと呼ばれる断食の義務はイスラムの5つの柱のひとつで、食事、水分摂取、喫煙、性交渉を控えるよう要求するものだ。

THE HUFFINGTON POST

太陽暦のサイクルの差の問題で、ラマダンの時期は毎年11日はやまり、33年で一周するです。ものすごい規模感です。ボクがラマダンを行ったのは2013年のだったので、7月9日から8月7日までの約1ヶ月間がその期間でした。

もちろん、断食とはいえ、1ヶ月間なにも飲まず食わずなわけではなく、日照時間中という条件つきです。つまり、太陽が出ているうちは、水と食べ物を絶つという慣行なのです。ちなみに、厳格なイスラム教徒は、自身のつばでさえ飲み込まないそうです。

日照時間というのは地域によって、またその日によって徐々に変化していくものですが、ボクの場合、おおよそ朝の4時前頃から、夕方の20時前までの約16時間、飲食を絶つ必要がありました。

 

なぜラマダンをやろうと思ったか?

ラマダン

当然のことながら、ボクはイスラム教徒ではありません。外国人から何教かと聞かれて、仏教?神道?と返答に困るなんの変哲もないジャパニーズです。そんなボクがなぜモロッコでラマダンを行おうとしたのでしょうか。

 

食べないとう究極の飲食文化

ボクが早稲田大学で専攻し、これからソルボンヌ大学で研究を続けようとしている学問は「飲食文化」という分野に関わっています。飲み食いを研究しているということです。

飲み食いの研究をしているということは、必然的に、「飲まない食わない」という行為も研究の対象となります。なぜなら、「飲まない食わない」という形で、根源的に「飲み食い」に関わっているからです。「飲み食い」という行為があるからこそ、「飲まない食わない」という行為が成り立つわけです。

ボクがモロッコに行った目的は、主にフランス語を学ぶということだったのですが、偶然にもラマダンの時期とかぶったため、当時のボクは、ついでに飲食文化研究のフィールドワークも行えると思ったわけです。

自分が実際に、飲まず食わずの文化であるラマダンに参加することで、ラマダン文化圏に生きているイスラム教徒たちの中に溶け込み、参与観察をできるのではないかと判断したのです。

事実、こうやってラマダンに関する記事を書けているのも、ボクが実際にモロッコでラマダンをやり切ったおかげなのです。

 

友達が断食やってると、やってない自分が忍びないジャパニーズ

とはいえ、当時20歳だったボクに、金にもならない自分の研究のために、1ヶ月間の断食を実行できるモチベーションがあったわけではありません。

モロッコに到着してすでに数週間が経過していたボクには、現地の友人がたくさんできていました。裏路地で、下手くそなギターを弾いていると、近くに住んでいた友人が集まってきたし、一緒にモロッコ風サンドイッチなんかを食べながらよくお喋りをしたものです。

そんな友人らが、ラマダンが始まったからと、突如断食を始めたとき、ジャパニーズであるボクの集団主義的スピリッツが燃えたのです

第一に、彼らがつらい思いをしながら飲み食いを我慢している傍ら、ボクだけが水を飲み、ボクだけが飯を食うということはできませんでした。加えて、第二に、ボクも彼らとラマダンをやり切れば、彼らともっと親密になれるのではないかと期待したわけです。

 

そうして、飲食文化研究の糧になるのではないかという期待と、モロッコ人の友人らへの友情が、ボクをラマダンへと駆り立てたのです。後悔するとは知らずに――。

 

ラマダンをやり切って決心したこととは

ラマダン

 

ラマダンをやり切ったとき、体重は約6kg減っていました

人生で初めてラマダンをやるものだから、体が慣れておらず、最初のころは、日が暮れたあとも満足のいく食事をとることができませんでした。太陽が沈んだ瞬間、水をガバガバ飲み、食事に喰らいつき、突然入ってきた水や食物に胃がビックリしてそれ以上食べられず、まともに水分と栄養を摂取できないまま次の日が始まるといったループが続いたのです。

後半は、勝手がわかってきて、まずは一杯のスープから始め、デーツ(ナツメヤシ)などで胃を慣らし、徐々にそしてゆっくりと食事を進めていくという術を覚えたので、最初ほどはつらくはありませんでしたが、歩く気力も起きず、ボーっと過ごす一日が大半を占めていました

とはいえ、そんな地獄のようなラマダンを終えても、大したものを得ることはできませんでした

たしかに、ラマダンが終わった初日、久しぶりに日光を浴びながら一杯の水とパンを一切れ摂取したときは、不思議な感覚に身が包まれましたが、それを味わうために1ヶ月の試練に耐えようとは二度と思い至らないだろうなと、自分の中で結論がでました。

それに加えて、ボクのモロッコ人の友人たちときたら、ボクがラマダンをやりきったことを伝えると、「なんで?」、「君はイスラム教徒じゃないんでしょ?」、「なのになぜラマダンをやったのかな?」と、ぐぅの音もでない冷静なツッコミをしてくる始末です。

たしかに、イスラム教徒じゃなくても、ラマダンは自由に行うことができますが、とくにやる意味はありません。極論をいえば、イスラム教徒たちだって、ラマダンをやりたくてやってるわけじゃなくて、イスラム教徒だからやっているのです。

そんな状況下、イスラム教徒でもない、モロッコ人でもないボクが、意気揚々とラマダンをやりきったと伝えても、彼らの頭にはクエスチョンマークしか思い浮かばないわけです。

少なくとも、久しぶりに日光浴をしながら食事をしたときの感動と、イスラム教徒のラマダンに対する姿勢を知れたという点では、たしかにラマダンを1回やってみてもよかったとは思っていますが、同時に、今後2度とラマダンは行わないと強く決心するに至りました。

せいぜい、ダイエットをしたくなったときに、逆ラマダン(日が沈んだあとに飲み食いをしない)を行う程度でしょうか。いや、それでも水を絶つつもりはないから、やっぱりラマダンは2度とやりません。

気温が50度にまで至る季節に、しかもカラッカラに乾燥した炎天下で、日照時間中の飲み食いを1ヶ月間絶ったという経験は、たしかにボクの人生の一節に深く刻まれました。いい経験だったといえるでしょう。その経験をしたからこそ、ボクは2度と同じ経験はしまいと、強く決心したのです。やったことのない方は、1度くらいはどうぞお試しあれ。

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